インド旅行の前にやけに難しいことを考える その1―黒人霊歌「Deep River」と遠藤周作『深い河』の話。
「ねえ、この深い河って、どこを流れている河のことなんだろうね。」
先週、遠藤周作の『深い河』を読みました。
普段私は、こういうのはもっと自分が大人になってからだろうから…と敬遠して
遠藤周作は読まないのですが、来週旅行でインドに行くので
日本人が書いたインドが舞台になってる本を読んでおこうと本屋さんで購入しました。
『深い河』(ウィキペディアより引用)
『深い河』(ディープリバー)は、1993年に発表された遠藤周作の小説。また、これを原作とした1995年の日本映画。タイトルの『深い河』または“Deep River”というと、一般には黒人霊歌「深き河」で出てくるヨルダン川のことであり、日本とインドとヨーロッパの宗教と文化の間の「深い河」を暗示している。 <深い河 - Wikipedia>
実はこれを読むのは2回目で、
1回目は高校2年生の時に学校の図書館で借りて読みました。
17歳の頃から数年経って、
あの頃の自分よりもほんの数年ながら年をとった今、
読み終えた後の感想が少なからず違っていたのが
なかなか面白い読書経験でした。
せっかくなので読書メーターに書いた感想そのまま貼ります。
高校時代、吹奏楽部で同名の黒人霊歌を演奏したことがきっかけで図書館で借りたことのある一冊の再読。当時とは自分の中で感想がまるで違うことに驚き。おそらく、2週間後についにインドに自分が赴くからリアリティが全然違うからだと思う。当時読んだ際は、インドの街を人を習慣を汚いと罵り、無神経に振舞う三條夫妻を、そこまでの物語の流れや主要人物たちに感情移入した上で憎く感じてた。でも、果たして自分が実際に訪印した時、三條夫妻のように日本とまるで異なる世界を目の当たりにして素直に思ったことを口に出さずにいられるだろうか。
さて、これを読んだことをきっかけに、
今でも覚えてる高校生のとある頃を思い出したので
ちょっと書いてみようと思います。
あ、ウィキの概要みると宗教とか文化とか
難しいこと書いてありますが、私には簡単なことしか書けないので
直接的にはあまりタイトルの黒人霊歌も遠藤周作も関係ありません。
ですからどうぞお手柔らかに…
高校生の頃、私の所属してる吹奏楽部では
毎年6月の文化祭で必ずやる曲がありました。
↓You Tubeから拝借。どこかのバンドが演奏しているもの。。。
4月に入部したての1年生は、
基本的には演奏中に照明係や警備係をしていたのだけど、
そんな中、先輩と一緒にステージに立って演奏する数少ない曲として
渡された譜面が「Deep River」でした。
確か、楽器屋さんに注文した自分の楽器が
届いたか届いてないかそんな時期だったんじゃないかな。
新しく担当になったトロンボーンはちっとも上手く吹けなくて
それでも一緒に先輩たちと合奏するのが楽しくて仕方ないような、
そんな時に渡された短い楽譜。
流行りのポップスでもなければノリのいいテンポの曲でもなんでもない、
そのゆっくりとしたやけに壮大な曲を私は練習してた。
正直、高校1年生の頃の自分が曲を好きになってたかどうかは覚えてないんだけども。
伸ばす音ばっかりでつまんないな、とか
もっと派手な曲やらせてくれてもいいのにな、とか
そういうことばっか考えてたかもしんない。
次の年、私は2年生になり、演出係になりました。
演出係は講師の先生と相談しながら
MCの原稿を考えたり曲間の劇を作ったりとかする係だった気がする。
この演出の仕事の中で一番大きな役割が、部員の意見を聞きながら
曲目を決めてセットリストを組むのが仕事でした。
5月、
2年生が中心になって気合いを入れた文化祭の本番に向けて
準備を始めた頃の話。
私が「今年の文化祭、ディープリバーはどこに入れようか。」と意見を求めたら、
「別に、毎年やってきたからってディープリバーを今年もやる必要はないんじゃない?一年生には別の曲で参加してもらってもいいわけだし。」と誰かが言った。
あのつまらなくて息がもたなくて壮大なだけのディープリバーを、
別に吹く必要はないんだなと思った時、
当時の私は何故だかとても寂しくなった。
先輩から受け継いできた伝統んだからやらなきゃ駄目じゃん!とか、
そういう理由では絶対なくて「そっか、ディープリバーってみんなにとって特別なわけじゃなかったんだ…」みたいな。
その後、結局本番のセットリストから外したのか、
それに関しては記憶が定かではないけど…。
文化祭が終わった後のある日、
当時好きで毎週通ってた学内の図書館の文庫本棚で
ディープリバーと振り仮名の書かれた一冊を見つけて読みました。
それが私の『深い河』一回目。
今までの人生で見たことも考えたことなんてなかった
当たり前が当たり前じゃない風景。
自分の中には存在していない大きな力を本気で信じている人たち。
力強い声を沈黙の中で必死に受け止めようとする人々。
あまりに自分の日常から遠い異世界と、登場する日本人の中にある深い感情に
共感できるほど大人でもなんでもなかったけれど
見たこともない深い河の姿を当時の私はぼんやりと思い浮かべてた。
そして、本のタイトルと同じ名前の
あのゆっくりとしたやけに壮大な曲を
家に帰ってからYouTubeで検索して改めてその黒人霊歌をちゃんと聴きました。
驚くことに、『深い河』を読んだ後と、何も考えずに吹いていた去年の文化祭では
曲に対する感想が全然違ってた。
何ていうんだろう、
「ゆっくりしていて壮大」「キラキラしてる」だけではなくて
「悲しみ」がある、「怒り」がある、でも「希望」がある、と思った。
文化祭の曲決めのときに、面倒くさくてダサいと言われていたあの曲に
私がなぜだか特別な何かを感じていたのは、
もしかしたらこういうことだったのかもしれないなと、
文化祭が終わってから後から図書館で腑に落ちたのを、今でも覚えている。
…改めて昔のこと思い出してみれば
本当になんてことない些細な出来事なんですけどね。
ただ、やっぱり何となく最近『深い河』を再読して
新しく考えることもあったりしたので、思い起こしてみました。
特に、吹奏楽部時代の私のディープリバーに対する思い入れは
多分誰にも言ったことがなかったので、今さらながら。
本当は一つの記事に収めるつもりが、
どうも上手くまとまらなかったので今日はここまで。